目の前にリンゴがあります。「視覚現象の三要素」といわれる、「光」と「物(この場合リンゴ)」とそれを見つめる「目」が揃ったとき、誰しもそこにリンゴがあることを認めます。
目は、光によって照らされた物の表面の色によって、リンゴを認識します。リンゴは赤い、艶がある、丸いといったように。
しかし、リンゴの表面に見える赤色や、外見としての形を見ただけで、リンゴを見たことになるのでしょうか。物を視野に入れることは、さほど労を要しません。目をその物に向けるだけで見ることはできてしまうのです。それで見ることは終ってしまうのでしょうか。物の外面を見るだけで、本当に物を見たことになるのでしょうか。実際に絵を描く時、「リンゴは赤い、丸い」という認識だけで、リンゴを確実に描くことができるのでしょうか
ここでは、物を「外見」からのみ捉えるのではなく、「物を中身から捉える」ことと「物がそこに在る」ということから捉えてみましょう。キーワードは『物の軸を見い出す』ことです。
物の形は、その「中身」の構造により決定している場合が多々あります。私が今着ている「服」の形は、その中身である私の肉体により決定されています。
物を描くことで空間を表現する技法である「パースペクティブ」は、空間的にという意味で物の外見を正確に描く方法です。ここで取り上げている「物の軸を見い出す」ことは、パースペクティブのように、表面的に確認できることではなく、自身が物を見るときに「意識」しないと認めることができません。ここに、ただ単に物に目を向けるだけの「見る」と、意識的に「見る」の違いがあります。これは、「眺める」と「観察する」の違いといっても良いでしょう。物の軸を見い出す作業は、ただ無意識に物を見る、つまり眺めるだけでは見い出すことはできません。その物の軸はどうなっているのかを意識するという知的作業なのです。
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