彫刻にとっての「場」と「空間」 |
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彫刻の起源を辿ると、極端に大きな立体物と極端に小さな立体物に行き着くという。ハーバート・リードの説であるが、モニュメント(記念碑)とアミュレット(呪物)が彫刻の起源であるというのだ。
モニュメントもアミュレットも、固有の場所を持っていた。例えば、アメリカ先住民のトーテム・ポールが立つ位置は、その形以上に重要であっただろう。また、古代ローマの凱旋門は、北方の「蛮族」を征服し、凱旋したということの記念にたてられているのであり、その、期日とともに、場は重要である。その場所を離れての門の意味は薄いであろう。アミュレットもしかりである。狩りや戦へ赴く男達を守るための呪物は必ず首から下げられなければならなかったのである。
彫刻が、その内的な、純粋な魅力「美しさ」を獲得し、場所性を消失したのは近代のことである。その前提としては、美術館の存在が大きい。美術館の起源は、絶対王政の時代、世界を支配した大英帝国やフランスなどヨーロッパの国家が、東方などから、美術品を持ち帰り、権勢を示すために宮殿を解放して一般公開したことに始まる。それ以降、彫刻や絵画が、固有の場との結びつきを断って、それ自体の美を主張することとなる。
近代以降の彫刻家は、美術館に収まることを前提に制作している。つまり、立体が支配するべき空間は、無味無臭の抽象的な空間なのである。そのような近代の彫刻あるいは立体作品を、美術館芸術と呼ぶこともできる。
近代以降と呼ばれることも多い60年代以降、彫刻が場を取り戻したといわれている。それ自体の純粋な美しさを追求する彫刻はもちろん現在もあるが、モニュメントなど社会の中での存在意義を求める作品が多くつくられるようになった。
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